二つ前のブログの続きとして、親鸞聖人の悪人正機説を書かせて頂きます。私自信、耳が痛いことばかりですが。
聖人のお言葉、『善人なおもて 往生を遂ぐ。 いはんや悪人をや。』
善人でさえ幸せになれるのだから、 悪人はなおさら幸せになれる。 となります。
ひとにはそれぞれ生まれ落ちたときから、悪人か善人のどちらかの役割を演じ、そして生涯を閉じる。と聖人はおっしゃられています。
私は悪人正機説を次のように伺いました。
(少々哲学的になりますが。)この世で善人の役割をやってくださる人は、 それなりにありがたい存在だが、悪人の役割をしてくださる人はもっとありがたい存在である。
お読みになれば、おそらく『?』 となるでしょう。でも、次を読んでいただければ合点がいきます。
自分は善人で立派な者、使命を持った者だと思っている人は、 大往生を遂げるかもしれない。 しかし、自分は悪人で どうしようもない奴だと思っている人の方が、本当の仏である。 なぜなら自分で自分のことを善人だと思っている人よりも、 自分を悪人だと思って苦しんでいる人の方が、より仏に近いから。
悪を肯定しているわけではないのです。どれだけ謙虚に生きられるか?それを問うておられるのです。
この考えを昇華させるとこうなります。
憎しみや恨みというものは、 すべて自分が正しいと思ったところから始まる。
今日という日は、トラブルもありましたがそれぞれを回避し、それなりの達成感がありました。それでもその心の奥には、「俺が誰よりもよくやった。」があることに気がつきます。
親鸞聖人でさえ、「私はたいした者ではない。」 そうおっしゃられた謙虚な気持ちで、明日からの自分を生きて行きたいと思った、師走も半ばでした。
TOZO 永井敏