世界の終末が明日であっても

コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウという、ルーマニアの詩人をご存知でしょうか?(ゲオルグ・ゲオルギウ(・デジ)とは、全くの別人です。)

彼の有名な言葉。

たとえ世界の終末が明日であっても、私は今日リンゴの木を植える

があります。

実は長年この言葉を、開高健が色紙に書いていましたので、彼の言葉と思い込んでおりました。

しかし、石原慎太郎の国会質疑の中で紹介されたことをきっかけに、ゲオルグの文章と分かりました。

たとえ世界の終末が明日であっても、私は今日リンゴの木を植える

どのようにも受けとめられます。広義の解釈と狭義の解釈。

たとえ世界の終末が明日であっても、私は今日リンゴの木を植える

狭義の解釈で、自分に当てはめればどうでしょうか?

好きな仕事(物造り)は、最期のその一瞬まで、無心に貫き通すということでしょうかね。

とまれ。

小説:坂の上の雲の言葉を借りれば、

明るく楽天的な明治という時代人の体質であるならば、前をのみを見つめながら歩く。とあります。

『のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼってゆくであろう。』

広義の解釈でもやはり同じ意味合いを持つと思います。

だから私は、

たとえ世界の終末が明日であっても、私は今日リンゴの木を植える

TOZO 永井敏


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