2001年4月29日、東京都世田谷区の東急田園都市線においての、悲しい事件についてご記憶でしょうか?(事件詳細はウィキペディアをご覧ください。) 加害者2人は傷害致死罪に問われて逮捕されました。
裁判中、被告2人の淡々とした態度や発言から、真に事件に向き合い反省しているかどうか、疑問を抱く態度を繰り返していたとあります。
裁判においてはその判決内容よりも「論説」の中に、被告に対し裁判官が最も伝えたいことがあると言われています。
そこで異例の「論説」です。
裁判長は被告人2人に対し、「唐突だが、君たちは、さだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるだろうか」と切り出し、「この歌のせめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう。」、との説諭を行ったそうです。 裁判官が具体的に歌の題名を述べて被告を諭すことは異例のことであり、「償い説諭」はマスコミにも取り上げられ話題となりました。
作詞・作曲の さだまさし氏は新聞社の取材に対して、「法律で心を裁くには限界がある。今回、実刑判決で決着がついたのではなく、心の部分の反省を促したのではないでしょうか?」とコメントしたうえで、「この歌の若者は命がけで謝罪したんです。人の命を奪ったことに対する誠実な謝罪こそ大切。裁判長はそのことを2人に訴えたかったのでは?」と述べたそうです。
罪の重さにもよりますが、過ちを犯した人間はそこで終わりでしょうか?
そうではないはずです。
だからこそ「償い」という言葉がこの世に存在すると思います。誠実な謝罪と行動、心からの謝罪と行動。これこそ唯一過ちを犯した人間が許される、唯一の方法と思えてなりません。
全ては心の問題である。
過ちを犯した若者を諭すための、歌を引用しての異例の「説諭」。山室惠裁判長には心から尊敬の念を抱かずにはいられません。(但し、すべての罪を犯した人が、謝れば許されるという意味ではございません。どうか誤解の無きよう。)
代表取締役社長 永井文雄