諦めるということ

日本語で「 諦める 」は放棄、断念、ギブアップなど、マイナスイメージで使われることが多いと思いますが、漢和辞典で「諦」を調べると悪い意味はひとつもありません。

漢和辞典 ではこうあります。

〈つまびらかにする。いろいろ観察をまとめて、真相をはっきりさせること。〉

残念ながら現代の日本語ではいつの間にか「明らかにする。」という大切な土台がゴッソリ抜け落ちて、望んでいることを途中でやめるという意味ばかりで使われるようになってしまったようです。

「苦しい」「つらい」「嫌だ」「つまらない」など、マイナスの感情を抱くのは、ことごとく自分の都合通りにならない時です。こうした状況を仏教で「苦」と表現されるのだそうです 。

かっぱさん:「そーだったのかー!」

では、どうすれば自分の都合を「 諦め 」られるのか ?

・たとえば、もっとさっぱりした人間関係を望んでいるが、それができない。

・それから、いろいろと他人に依存してしまう。

・過去のよいところだけをみて、置き去りにされた(自分の)現在を理解できない、など。

いくつか思いあたる原因がありますね。

その場合、なぜつらいのかを分析し、明らかにしてみました。

そこから、ではなぜそうなるのかを考えてみるのです。

すると、どーんと椅子に腰掛けて、人間関係を楽しめるような気がしました。これが「明らか」にして「諦める」ということなのかなと。

物事が明らかになった時のキーワードが、「仕方がない」という言葉だと思うのです。

この言葉、私は「あきらめる」ための魔法の言葉だと思っています。

「仕方がない」という言葉は悪いことではなく、前進を指す言葉だったんですね。

さあ次、行ってみよー(いかりや かっ!)

TOZO 永井敏


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